このブログで“藤子・F・不二雄のこわいマンガ”という題名で作成した記事がありますが、“ウルトラ・スーパー・デラックスマン”のように、藤子・F・不二雄のマンガにはスーパーマンが題材のものがけっこうあります。
そして、その“スーパーマン”になる人物の性格等が毎回違うんです。
“スーパーマン”に関しての考えを何か残されているかとWebで記事等を探してみましたが、残されていないようので、勝手な私の想像ですが、藤子・F・不二雄は、けっこうな頻度で“スーパーマン”になりうる人物の性格はどういう人が良いのかを考えていたのではないのかなと思います。
先にも述べた“ウルトラ・スーパー・デラックスマン”(関連記事:藤子・F・不二雄のこわいマンガ ~ウルトラ・スーパー・デラックスマン~)、他にも“わが子・スーパーマン”や、ポピュラーなものでは“パーマン”。
“わが子・スーパーマン”は、見た目でしか正義が判断できない幼い子が、スーパーマンの力を持ってしまったが故の過ちを書いた作品で、“パーマン”は子供だから悪い事は考えないという観点から描かれている。
そして、“ウルトラ・スーパー・デラックスマン”は卑屈な精神を持った人物がスーパーマンの力を持ってしまったらどうなるかが描かれていて、“中年スーパーマン左江内氏”は正常な判断のできるさえない中年サラリーマンが力を持ったらどうなるかという話が描かれていて、私の目から見ると、スーパーマンの力を持たせてもゆがまない人物が“中年スーパーマン左江内氏”だと思う気持ちもあり、描かれたのかなと思います。
何しろ、この話は先代のスーパーマン(これも髪の毛がさびしい、なぜか夜でもサングラスをかけているさえない風体の人物)が、次代のスーパーマンに求めるものが
であり、これに合った左江内氏が選ばれる。
アメリカの昔のドラマでも、よく似た発想のものがあり、『UFO時代のときめき飛行 アメリカン・ヒーロー』(The Greatest American Hero) というものでした。
こちらは、高校の教師が宇宙人からスーパーマンのスーツを託される。しかし、取扱説明書を落してしまったのでちゃんと扱えないというものだった。
国は違えど、人間だれしも同じような発想はするのでしょう。
話を戻しますが、“中年スーパーマン左江内氏”の最後の話は、正義だと思っていた政治家が正義には金が必要と思っている姿に直面し、嫌気がさしてしまう。
そして、むなしくなっていたところに“パーやん”と出会う。
なかなか、この“パーやん”の理論がクールで、かいつまんで言うと、正義が何か?自身のスーパーマンの力を過大に考えずに「ぼちぼちやれば よろしいやないか。」とのスタンスで、スーパーマンの力で内職に運送業をしている事を左江内氏に話す。
今、見返すとこの描写は、私にとってなかなか奥深い事を連想させる。
正義と思われる事で世に役立つ事をするのと、運送業で世に役立つ事をする事は大して変わりはないのでしょう。
一生けん命に世の役に立つ事をするのも良いでしょうが、働けば回り回って世の役に立つのだと思ったりして。
どうでしょう?考え過ぎですかね。
Amazonとかで安ければ手放しでお勧めしますが、少しお高いんで、ご興味あればブックオフなんかでこのマンガを探してみてください。
ではでは。
そして、その“スーパーマン”になる人物の性格等が毎回違うんです。
“スーパーマン”に関しての考えを何か残されているかとWebで記事等を探してみましたが、残されていないようので、勝手な私の想像ですが、藤子・F・不二雄は、けっこうな頻度で“スーパーマン”になりうる人物の性格はどういう人が良いのかを考えていたのではないのかなと思います。
先にも述べた“ウルトラ・スーパー・デラックスマン”(関連記事:藤子・F・不二雄のこわいマンガ ~ウルトラ・スーパー・デラックスマン~)、他にも“わが子・スーパーマン”や、ポピュラーなものでは“パーマン”。
そして、今回記事にする“中年スーパーマン左江内氏”とスーパーマン関連の作品があります。
多分、この“中年スーパーマン左江内氏”が、藤子・F・不二雄のひとつの答えだったのかなと思います。
“わが子・スーパーマン”は、見た目でしか正義が判断できない幼い子が、スーパーマンの力を持ってしまったが故の過ちを書いた作品で、“パーマン”は子供だから悪い事は考えないという観点から描かれている。
そして、“ウルトラ・スーパー・デラックスマン”は卑屈な精神を持った人物がスーパーマンの力を持ってしまったらどうなるかが描かれていて、“中年スーパーマン左江内氏”は正常な判断のできるさえない中年サラリーマンが力を持ったらどうなるかという話が描かれていて、私の目から見ると、スーパーマンの力を持たせてもゆがまない人物が“中年スーパーマン左江内氏”だと思う気持ちもあり、描かれたのかなと思います。
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何しろ、この話は先代のスーパーマン(これも髪の毛がさびしい、なぜか夜でもサングラスをかけているさえない風体の人物)が、次代のスーパーマンに求めるものが
・最大公約数的常識家
・力をもっても大それた悪事のできぬ小心さ
・ちょっと見パッとしない目立たなさ
であり、これに合った左江内氏が選ばれる。
アメリカの昔のドラマでも、よく似た発想のものがあり、『UFO時代のときめき飛行 アメリカン・ヒーロー』(The Greatest American Hero) というものでした。
こちらは、高校の教師が宇宙人からスーパーマンのスーツを託される。しかし、取扱説明書を落してしまったのでちゃんと扱えないというものだった。
国は違えど、人間だれしも同じような発想はするのでしょう。
話を戻しますが、“中年スーパーマン左江内氏”の最後の話は、正義だと思っていた政治家が正義には金が必要と思っている姿に直面し、嫌気がさしてしまう。
そして、むなしくなっていたところに“パーやん”と出会う。
なかなか、この“パーやん”の理論がクールで、かいつまんで言うと、正義が何か?自身のスーパーマンの力を過大に考えずに「ぼちぼちやれば よろしいやないか。」とのスタンスで、スーパーマンの力で内職に運送業をしている事を左江内氏に話す。
そして、共同経営者になってもらう相談をする事で、このマンガを締めくくっている。
今、見返すとこの描写は、私にとってなかなか奥深い事を連想させる。
正義と思われる事で世に役立つ事をするのと、運送業で世に役立つ事をする事は大して変わりはないのでしょう。
一生けん命に世の役に立つ事をするのも良いでしょうが、働けば回り回って世の役に立つのだと思ったりして。
どうでしょう?考え過ぎですかね。
Amazonとかで安ければ手放しでお勧めしますが、少しお高いんで、ご興味あればブックオフなんかでこのマンガを探してみてください。
ではでは。




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